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MINIMUM/DISTANCE
OF PERFORMANCE ART

(指)2001/4/15 / image text

(のど)2001/7/15 / image text
(記憶)2001/10/14/ image text

--山岡佐紀子プロデュース-- 2001--

○パフォーマーとして参加


※以下説明文は 山岡佐紀子(パフォーマンスアーティスト)がこのドキュメントを
 小冊子にまとめた際に掲載した文

◇ The method --2週間程前から「即興」は計画される
まず各自、モチーフとなるテキスト、あるいは言葉、物の名などを少なくとも1つ、
あるいは小道具1つ以上を、2週間前に他の参加者たちに知らせる。
つまり、行き当たりばったりではなく、あらかじめあいまいながらもイメージを持ち、
当日に望む。そしてそれは崩れる、あるいは保つ、あるいは発展する。
その日は、2時間ずっと行う必要はなく、やめて帰ってもいい。開始時の遅刻はなるべく不可。参加者はしばらく眺めた後でもいい。観客やカメラの立場に決めこんでもいい。
なお、この計画を純粋に実行するためにあえて観客は呼んでいない。偶然の通行人だけ。なぜならここでは、見せることよりも、経験すること、試してみること、想像することに専念したいのだ。

◇ The purpose --同じ空間に行為を行う他者に出会う
場にとける、あるいは自分の殻を築く(トートロジーに陥る)のではなく、別々の主題と、別々のベクトルを持つ身体を持つ、あるいはそうした身体である人たちのポリフォニーを実現したい。そうすることで、私たちは私たちの主題と言うものが実際どこにあり、どんな状態なのか、探ることができるだろう。そのためにはあまり即興すぎるとそれが不明瞭になると思われる。ゆえに各自が計画(モチーフ、もくろみ)を持っていることが必要であると考えた。

◇ Performance/photos about/texts about  --パフォーマンス/その写真/それについての文
ここで私たちが注意しなければならないのは、これら3つのことは当然関連があるけれど、別々の視点のものだということだ。それを知っていれば、そのずれを限界としてではなく広がりとして充分楽しむことができると思う。近くは、視覚だけではない、勿論ことばでは言い表せない、そしてその時だけのものもない。思い起こすこと、記憶となるということは何か。残すということ、記憶するということは何だろうか?誰のために、何のために。
その問いに簡単に答えないために、この小さな冊子はある。


<小冊子のために後日書いた パフォーマンスの感想文>

◆2001/4/15 日曜日午後2時より2時間
赤羽青水門付近で 以下のメンバーによるパフォーマンスが行われた

<参加者と事前に提出されたモチーフ(順不同)>
のぎすみこ(指) / 小川恭平(ビール) / 新生呉羽(長文テキスト)
田上真知子(黒の網タイツ) / 陳式森(未定) /  森出(長文テキスト)
山岡佐紀子(ぱんぱんパン)


○MINIMUM←→MAXIMUM
強風だった、空は青く、鳥のさえずりや子供の声も聞こえていた、、、はずだ。
わたしはこの日、利き手の右手ではなく、左手に神経を集中させていた。わたしが自分に与えたテーマは『指』だ。より正確に言えば、伸び縮み可能な指示棒を、サージカルテープで1本づつ固く固定した、左人さし指と中指の神経に、わたしのほぼ全ての注意が払われていた。山岡佐紀子のメトロノームに始まりのきっかけをもらった。風邪が止まった。メトロノームの「カッカッ、、」という音以外聞こえない。色が消えた。指が動きだした。
さまよう・漂う・指す・刺す・差す・計る・戸惑う・つかむ・たたく・なめる・しゃぶる・くわえる・まねく・着く・突く・なぞる・すくう・引く・押す・かく・さわる・そえる・なでる・進む・後ずさる・ひきずる・示す・まかせる・たしかめる・からめる・刻む・入れる・出す・止まる・・・行為。指が考えていた。指が感じていた。
何度思い返しても、確かに無風無色無音の時間はあった。「おもしろかった」のは、ガードレールを叩いた音は覚えているし、小川恭平に近付いたときは彼の声も聞こえ、彼の座る場所には芝が青々と生い茂っていた事や、山岡佐紀子がわたしの指(指示棒)に手袋を掛けた瞬間、強い風がうなりをあげたことも、わたしのからだに巻き付けられたのがピンクの紙テープだったことも、田上真知子のズボンに絵具の染みが付着していたことも、彼女の足の裏がどんな色だったかも、生々しく鮮明に思いだす事ができるのに、他者との接触を持たない時間の風景には、色も音もにおいも無い。思い出せないというよりも、「無かった」と思う方が自然だ。自分のした行為は完璧に近いほど覚えているにも関わらず、無いものが有る。だから「おもしろかった」。
わたし以外の人が、わたしの指以外の感覚のスイッチを入れたのだ。だとしたら、わたしがスイッチを押した人は、どのように感じたのだろうか、どんな世界を見たのだろうか。
今回の行為はわたしの頭の中で、ムービーのように何度も再生されるだろう。


◆2001/7/15 日曜日午後2時より2時間
赤羽青水門付近で 以下のメンバーによるパフォーマンスが行われた

新生呉羽(空の鏡) / のぎすみこ(のど) / 山岡佐紀子(亡命/待機)

○視覚に奪われた行為
「おしまい」と声に出しながら、勢いよく目隠しを取った。わたしはそのとき、自分がどこに立っているのかを目で確認しながら、今までに無い、もしくは忘れていたのかもしれないと思わせるような、奇妙な感覚に包まれながら、今までいかに目と言葉で自分の身体と感覚と感情を計っていたかを、わずかばかり知った。そのわずかがショックだった。「わたしは自分のことをこんなにも知らない」と思い、感動していた。今回の実験も成功だった。もちろんわたしにとって。

今回は『視覚と言葉を奪う』実験だった。視覚は完全に奪い、言葉のかわりに口から音を出す事は、積極的に行う事にした。『音』は喉を使うホーミ--(ホーメイ)と言われる、倍音を出す方法を用いた。
参加者は3人だけにもかかわらず、各々が選んだスタート地点は、互いにずいぶんと離れた場所だった。2人の場所をまずは目で確認してから、わたしは目隠しをした。不安だったのだ。目隠ししてしばらくは、「どんなかんじでやろうか、何をしようか」と、余計な事がぐるぐると頭の中がうるさく騒ぐので、それを振り切るように喉から音を出した。風上に向かって出した音は、そのままわたしの身体の中に押し戻されてしまった。おもいきりむせた。気を取り戻そうとして背筋をのばすと、今度は頭が痛い。左右にぶらさがった手も、鉛のように重く感じる。始まったばかりなのに、続行不可能かと思うほどだった。そこで、身体を手の重さにまかせて前屈みになると、わたしの中に三角ができた。もう一度音を出す。やはりむせたが、今度は身体にまかせて涙がデルほど咳き込んだ。身体が黒い固まりになって、頭の痛みと手の重みが嘘のように消えた。
わたしは太陽の方へ顔を向けた。それから、太陽に背中を押されるように、散歩に出掛けた。たまに、じぶんの存在を確かめるように音を出した。音は風邪の向きによって、顔の傾ける角度によって方向を変えながら、口から頬をつたってこぼれるのがわかった。自転車の通り過ぎる音を拾いながら歩いた。手を叩く音が聞こえた。わたしを呼ぶ音だ。その方向へ足を向けた。棒のようなものにぶつかった。山岡佐紀子の腕だと思った。何故か笑みがこぼれるが、それは腕ではなかった。行けども行けども、その棒はわたしの行く方向を阻んだ。足を踏み外して転んだ。延々と下る坂道を想像して、恐怖を覚えた。来た道を引き返した。手を叩く人の所へ行くのをあきらめた。なにもかもが怖いのだ。なにも見えないのだ。アスファルトと芝生の境目に脅え、敏感になるのではと想像していた聴覚は、近くの音しか拾わない。でも、太陽だけはどこにいるのかがわかる。黒い固まりになったわたしのからだに、赤く感じる部分がある。それが太陽のいる方向だ。少し歩いて、四つん這いになってみた。カンカンに暑くなったアスファルトの熱が、手のひらから足の裏から、猛烈な勢いでわたしを満たしていった。わたしはじぶんが、端から端まで均等な熱の固まりになったのを感じた。立ち上がって、右腕を顔の前で強く振った。音を出してみる。喉も調子が良い。気を取り直して、人が歩く音をなぞるようにスタスタと歩いてみる。結構おもしろい。また立ち止まり、喉から音を出していると、人の気配がする。右手を取られて、何かに強く押し付けられた。ひんやりとしていてやわらかい。それが新生呉羽のお腹だとわかったのは、されるがままに手を掴まれたまま、そこで何度もスライドされたからだ。わかったところで、おもわず笑顔になった。わたしが理解したのを察したのか、さっと手が離れ。タッタッタッタ、、、と、駆けていく軽やかな音が聞こえた。すると、またすぐに人の気配がした。今度は手に何かを持たされた。カメラだ。「撮って」という潮来真由美(記録を撮る観客としての参加)の声がした。わたしは咄嗟にシャッターを、胸の高さあたりで無意識に切ってしまう。「いつもみたいに、目の高さで撮って」と言われ、改めてもう一度シャッターを切るが、本当に目の高さだったかは定かではない。また歩き始める。何かにぶつかる。触って確かめる。あたった部分から探った。「あっ」という声で、わたしがぶつかったのが、自転車に乗った知らないおじさんだ、ということがわかった。わたしはおじさんの膝にのせていた手を、あわてて引っ込めた。太陽のいない場所まで歩き、仰向けになって喉を鳴らした。音がぐんぐん大きな球になった。人の気配がする。手に何かを持たせられた。指でその何かをなぞるが、わからない。振るとカシャカシャと音がする。右手と左手に一つづつ握らされた。わたしは山岡佐紀子が作ったお手製のマラカスだと理解して、立ち上がってたのしくカシャカシャと振りながら、かまわず歩いた。かなりの衝撃で鉄柵に胸を強く打ち付け、その反動で左手に持っていたマラカスを、川へ落としてしまった。柵から身を乗り出して、海へ向かってゆっくりと流れていくマラカスを想像した。残ったマラカスを右ポケットにしまっていると、今度は布を両手に持たせられた。風を孕んでパタパタパタと、音を出すのがたのしくて、しばらく遊ぶ。さっきのマラカスを、ポケットからもう一度取り出して、今度は慎重に太陽を探して歩き、立ち止まって、太陽に向かってマラカスをおもいきり振った。そして、目隠しをはずした。

わたしは右手に握っていたマラカスが、真っ赤なトウガラシだったことに笑った。目隠しをはずしてから「暑いな」と感じた。行為を開始してから、3-40分程度しか時間が経っていないと思っていたのに、実際は1時間半も行っていた。
実は、山岡佐紀子のテーマを聞いたときに、わたしは彼女の亡命を手伝う、郵便屋さんになろうと考えていた。わたしの喉もそのために使えれば、と思っていた。それが無理な事は、現場で目隠しをした途端にわかった。わたしはわたしの事だけで精一杯なのだ。しかし、偶然にも思い返せば目的は果たせたようだ。わたしが川に落としたトウガラシは、たしかにどこかの、なにかの境を静かに越えて行った。わたしはその時、少しだけ寂しく思いながらも、満足げな子供のような顔をしていたに違い無い。もちろん、目隠しをはずしてから思った事だけれど、、、。わたしは目隠ししたわたしを、客観視できなかった。
前回も感じたことだけれど、じぶんの錆び付いた引き出しを、点検するよい日だった。

◆2001/10/14 日曜日午後4時より
赤羽青水門で 以下のメンバーによるパフォーマンスが行われた

山内宏一郎(スカスカ)/ 白井広美(こえ) / 新生呉羽(存在の夢)
山岡佐紀子(亡命/ダブル) / のぎすみこ(記憶/ダブル)
※ のぎは当日急遽都合により欠場。
 モチーフのペン画の束のみ山岡の背中に背負われて参加。

○ 想像の記憶
今回わたしは、現場に行かずの参加となった。行くはずだったのに行けなくなったのは、イベント開始時刻を間違えて記憶していたからだった。
イベントの当日、わたしは仕事で廃虚同前の銭湯にいた。仕事休憩の合間に、頭の中で何度も赤羽青水門を思い浮かべた。もう一人のわたしは、そこにいた。
事前にテーマも、現場での行為も珍しく概ね決まっていた。今回は山岡佐紀子と組んで行う、という目的があったからだ。本来であれば、当日のわたしはイベントの現場で、山岡佐紀子と同じ映画音楽をヘッドホンで聞きながら、各々の行為を行うはずだった。
しかたなく、わたしはその行為を、イベントの前々日に自宅で行った。観た事のある映画の音楽だけを頼りに、わたしの記憶に残る映像をスケッチした。こうして、記憶のスケッチだけが、山岡の手を借りて参加することになった。
今回「記憶」をテーマにしていただけに、不本意ながらもわたしの中に、おもしろい種を蒔いた。いや、むしろ「まちがえた記憶」が重要な意味を持っていたことに気付いた。
曖昧な記憶の中に、わたしのほしいものはあった。わたしは過去に実際に起きた事を、デザインして記憶に残している。そして、それを疑いも無く日常的に自然に行っている。全ての過去を辿るには、実はそれと同じだけの時間が必要で、明確に記憶していたはずの記憶は、「明確なような記憶」にしかすぎない。
編集されたわたしの記憶が、わたしだけのものとなって、わたしの過去を作り上げていく。いま、まだ記憶の扉の入口で、わたしの過去と明日をどうしてよいのかわからずに、扉の向う側を想像することしか、手立てがない。